練習・・・

まだ年長さんだけどシッカリ一週間練習してくるHくん。ところが先日のレッスンの時「もう練習めんどくさいし、ピアノやめたい」と言い出した。寝耳に水。今まであんなに大好きだったのに?練習もシッカリ出来てたのに?何があったの?うーん。ニ長調になってシャープが2つってところで対応できなくなっちゃってるのかな?疑問がいろいろ浮かぶ。

よく、入会前に「練習は必要ですよね?」とお母様に尋ねられる。
実はこれに対しては、応えは簡単じゃないのだ。。。

  • 自分が描いている理想があり、それに近づきたいので、練習が必要。
  • とりあえずテクニックは落としたくないので練習が必要

など、自分が必要としている場合には、練習は必要と言えると思う。
いやいややっても日々継続できているなら力には、なる。

だけど、練習しなくても理想的に弾けるなら、練習は要らない。
または理想が低い場合、練習する必要性を感じないでしょう。
そんなに弾きたくないのに「練習しなさい!」を連呼されたら、好きだったはずの音楽もキライになってしまう。

元々は、上手になりたいから、練習する。
「私は練習しないよ」という素晴らしい奏者がいるのだが、ご本人は自分のしていることが「練習」と思っていないだけで、吹いてる時間は実は一日中だったりするのが現実。
何にもしていないのに魔法のように音楽を奏でられる人が居たら、お目にかかりたい。
一流の方たちは、何も努力していないように見せるのがとても上手だ。即興と見せるが、実はかなりの計算の結果で、それを「即興」に見せる術を持っている。みんな陰ではシッカリミッチリやっているのだ。それを知らぬ人が「すごいなあの人。練習しないのにあんなことできちゃうんだから。天才」と思うんだけど、そう思わせる才能があるのが天才なんだな。

けれども、上手になりたい人以外は音楽をしてはいけないのか?と言えば、そうではない。
「上手」というのは語弊があるが、上達ばかりを望むのがレッスンではないのではないか、と最近思うのだ。

話は戻って
「練習は必要ですよね?」に対して「上手になりたいなら、必要」と応えるのが妥当な線か。
だけど、上手になりたいという意識がなければ音楽をする権利はない、とは言えないということ。

個人レッスンなので、その辺はご本人の意思により、無理のない範囲で音楽を楽しめるよう努力するのが私の仕事だろうと思っている。
全く練習をしなかった子でも、興味のあるところになると楽しそうに練習し始める子も居るので、何事も時期があるのだろうな。