シューベルト

小学校5年と中学校3年かな?忘れたけど、その辺の時期のピアノの発表会にシューベルト即興曲をやった。中3のときにやったのは変奏曲になってるヤツ。
当時、私にはサッパリこの曲の良さが分からず、発表会に出るのを辞めると言い出した始末。結局出て弾いたけど、シューベルトの作品の魅力が分からないので、きっと随分と無機質に弾いたんだろうなと思う。
しかし偉大な作曲家の作品は、やはりそれで終わりにならない。こんな自分の中にも深く深く入り込んで居て、この曲が忘却のはるか彼方へ行ってしまうことは、ずっと今まで有り得なかった。
30代になってあらためてシューベルトの魅力に開眼し、あぁあの時のあの即興曲もこんなに素晴らしい曲だったんだなぁ・・・としみじみ思った。
新しいリズムがあるわけじゃなく、和音が斬新なわけじゃなく、展開が派手なわけじゃない。言ってみれば・・地味・・?だけど、保守的なオトナになればなるほど、なんだかシューベルトさんの音楽に慰められる部分が多くなるんだよねぇ・・・・でもシューベルトは若くして亡くなっているわけなので、この作品たちは私よりも若いシューベルトが書いている。若いのに、心境は随分と高いところにあったのだなぁ。偉大な作曲家なわけだよなぁ。。。

こういうことって、シューベルトに限った話じゃなく、全部そうかな。偉大な作曲家たちは、自分よりも心境がはるかに高いわけで、そのギャップが大きいほど共感率が低くなるかもしれない。共感できないのは、自分の心境が低いから、ということが有りえるのが悲しいよね(笑)
心境がかけ離れたものほど掛ける時間が多くなり、長い期間楽しみを与えてもらえることも、ある。

よく「好きな作曲家は?」って聞かれるけども、どの作曲家も自分よりも高〜いところにいらっしゃるのでそういった分類がとっても作曲家に対して失礼に思えてしまうのです。みんな尊敬してるもの。私は曲がかけないからなぁ・・・・
心を音に書き記せる、それが世に残るってだけでも、本当にスゴイことだものね。あと5回くらい生まれ変わった先では作曲家に挑戦してみても・・・・うーん、ムリかな(笑)

生まれ変わったら、私は一度歌手になりたいなぁ。その後もう一度フルート、その次はどうしようかな。ま、なんでもいいけど、生まれ変わっても音楽はやっていたいな。